ハロウィンマジ感謝♪ハロウィンイデアパソスト時空/物語開始時点で付き合っていません/無自覚両片思い喧嘩っプル??を目指しました。※これを書いた当時はパンプキンホロウの元ネタを見ていなかった(というか、存在しない架空の作品なのかと思っていた)ので、実際のディズニーのスリーピー・ホロウとはまったく異なる描写をしていますが、読み流してください(すいません…)。今はちゃんと元ネタ作品観ました!






 レオナからすると、それは突然始まった。……ように思えた。
「レオナさん、イデアさんになんかしたんスか?」
 いつものように植物園で昼寝をしていると、食堂から戻ったラギーの声が掛かる。
「……するわけねェだろ」
 もぞもぞと起き上がり、あくび混じりに応えを返す。レオナは基本的に、無駄な喧嘩はしない。そして、自分より明らかに弱い者は相手にしない。あのカイワレ大根――レオナは頭の中にひょろっとしたいかにも貧弱そうな男を思い描いた――を手ずからシバくなどあり得ない。
「本当ですか~?忘れてるだけじゃなくて?」
「……ンだよ。いやに突っかかるな」
「今日邪魔されたから、イデアさんに。目の前で狙ってたパン掠め取られちゃいました。ドローンで」
 だから今日はコレ。差し出されたパンのビニールを破りながらレオナは疑問に思ったことを尋ねた。
「ドローンで掠め取るって……どうやって金払うんだ」
「いやそこ?なんか内蔵されてるみたいで、ピピっと払ってましたよ。電子決済で」
 上から来るの卑怯ッスよね~。ラギーがそう零すのに、レオナは返事をしなかった。ドローンで買い物……それはラクそうでいいな。レオナは呑気に感心していた。
「明らかにレオナさんのパンを横取りするつもりでやってましたよ。明日も無理かも」
「なんでだよ」
「いや、勝利宣言されたんで、ドローンに。つーかあの人絶対デラックスメンチカツサンドなんて食わないっしょ。横取り目的ッスよ完全に」
「へえ、ドローンが喋るのか。大したもんだ」
「いやいや、何悠長なこと言ってんスか!肉食えなくてどうせ午後不機嫌になるでしょ~もぉ~。絶対オレに当たらないでくださいよ」
 そんなことで不機嫌になるほど子どもではない。そう思ったが、わざわざ否定するのも面倒だ。レオナは黙ってパンをかじった。
「……シケてんなァ」
 ジャムパンを睨みつけながらレオナは文句を言った。
「ほらァ!!早速!!」
 毎日弁当作れってんなら別料金ッスよ。抜け目ない後輩が言うのをレオナは聞き流した。
 たまたまだ。カイワレ大根といえど成長期の男子、不意に肉肉しい昼食を摂りたくなることもあろう。明日になれば元どおりのはずだ。
 しかし、レオナの予想に反して、次の日も、また次の日も、レオナの目当ての食べ物は目の前で掠め取られ、結局ラギーに弁当を作らせることになったのだった。


*****


 最近、学内でよくイデアの姿を見かける。見かけるどころか、レオナはかなりの頻度でそれと接触した。あっちが絡んでくるからだ。
「レオナ氏!期末考査の順位張り出されてましたな!」
 始業ギリギリに教室のある廊下に辿り着くと、早速青いのが出迎えた。
「…………それがどうした」
 コイツずっと俺を待ってたのか?レオナがひとり狂気を感じていると、イデアは勝手にペラペラと喋り掛けてくる。
「レオナ氏の順位低かったですな~!もしやテスト中に寝ちゃった?www拙者は十番以内には入りましたぞ!!」 
 ソシャゲのイベント走りながらだったから全然勉強してませんけど!!とイデアが謎のアピールをしてくるのを、レオナは半ば呆れながら流し聞いていた。コイツほんとになんなんだ?
「何が言いてぇんだ」
 よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、イデアは「ふふん」と踏ん反り返った。
「レオナ氏より、拙者のほうが、うえ!!」
 おわかりかな?!バーン!と胸を張るイデアに、レオナは瞠目した。なんなのだろう、このいきものは。
「…………そうだな……」
 テストの順位など、レオナにとっては心底どうでもいいことだった。赤点を取らない程度に回答欄を埋めたら、残り時間は寝ているのが常だ。だが、わざわざ、自分とこの男のテストに対する心構えの違いを説明する必要もない気がした。そういうわけでレオナが形ばかり同調すると、イデアは嬉しそうにほくほくと笑った。
「うん!!じゃ……そゆこと……」
 そして、言うだけ言うとそそくさと自分の教室に入っていく。
「……なんなんだ……」
 困惑しながらイデアの後ろ姿を見送っていたが、始業のチャイムに背中を押されて、レオナもまた自分の教室の扉をくぐった。


*****


 またある時は文化祭で。
「レオナ氏~!!」
 出た。
「……なん」
 後ろから掛けられた声に、なんだ、と振り返ろうとして言葉がつっかえた。すっかり見慣れてしまった青いのが、レーシングスーツ姿でマジカルホイールを押して、メインストリートをこちらに歩いてくる。
「なんだそれ、お前……。全然似合ってねェ」
「拙者はどうでもよろしい!肝心なのはこのマシーン!」
 イデアはレオナの親切な指摘を無視し、傍らのマジカルホイールをビッシと指差した。
「これはイグニハイドの枠とは別で、僕の個人的な自作展示なんだけど……。なんとこれ、遊戯王OCGをプレイできるデュエルディスクになってるんでござる!しかもソリッドビジョンシステムも搭載!モンスターを召喚したらモンスターがその場に現れるし、魔法罠を発動させたら対応するエフェクトが発生!!その上、一万種類以上あるカードのおよそ半数が個別演出!!更に、召喚方法によって演出が変わる!どうですかなコレ!!男の子の夢が現実に!!」
 イデアがテンション高く捲し立てる言葉の、半分もレオナは理解できなかった。なので適当な相槌を打った。
「……ほォ~」
「わかってない?!そのカンジ、わかってないよね!?!?遊戯王知らないの?!」
「知らねーよ……」
「そんな……それじゃあこの技術のロマンの半分も理解させられないじゃないか……。いや、今はまあ、いいや。とにかく……拙者、このソリッドビジョンシステムで、またひとつ特許を取りまし……た!!」
 イデアは胸を反らせて「えっへん!」と鼻を鳴らした。そうするとレーシングスーツの下の身体の貧相なことが浮き彫りになり、そんな身体で単車を乗りこなせるのか?とレオナは素直に疑問に思った。
「今回の内容は元ネタの版権があるから学祭限定だけど、このシステム自体は応用効くから。要は端末にキーを置いたらそれに対応する映像が出てきて、何個も置いて複数展開可能、キー同士の相互作用もリアルタイムで反映されるっていうこの仕組み自体ね!」
「へえ」
 そういうのって既にありそうだが、まだなかったのか。むしろそれが意外だな。だってなんか、映画とかでよく見る気がするし。
 門外漢のレオナがそんなことを考えていると、反応の薄いレオナに焦れたイデアがムム、と唇を尖らせた。
「……レオナ氏、特許……何個持ってる?」
 渋面で尋ねてくるイデアを見て、何をいきなり不機嫌になってんだコイツ、とレオナは思った。
「持ってねぇよ」
 それを聞くと、イデアの表情がパァっと晴れた。心なしか、髪の毛も輝きを増した気さえする。
「じゃ、じゃあ……拙者ってレオナ氏よりすごい……よね?」
 それがそんなに大事なことか?レオナにはイデアのその気持ちは全くわからなかった。だがまあ、こいつにとっては大事なことなんだろう。
「……そうかもな」
 否定したらかなりめんどくさそうなので、当たり障りのない答えを返す。それを聞くとイデアは、燃える髪を揺らめかせて、心底機嫌良さそうに笑った。


*****


 不愉快というほどでもない。レオナは、箒からぶら下がっておたおたしている男を窓から見下ろしながらそう考える。愉快かというと、決してそうではないにしても。
 教師の声は右から左へとただ流れていく。カリカリと、生徒がペンを走らせる音がする。むしろはっきりと迷惑だ。それは確かだが。
 真剣になって歯牙にかけるのが馬鹿馬鹿しく思えるような、毒気を抜かれるような、そういう雰囲気があいつにはある。興味深い処世術だ。多分自覚はないのだろうが。
 体育教師がイデアの元に駆け寄って、なんやかんやと檄を飛ばしている。イデアが嫌そうに顔をしかめるのが見て取れた。
 それにあいつ、俺がキレたら、多分泣くだろ。
 放っておこう。それがレオナの結論だった。無視できる程度の戯れだ。そう思っていた。ある時点までは。


*****


「ふふ、ふ……!出来た!!これぞ拙者印のおつかいドローン!!」
 イデアは手のひらに小さな機械を乗せてキャッキャと大はしゃぎしていた。ひとりで。完全に深夜テンションだが、実際には、もうすぐ午前の授業が終わろうかという時間帯だ。イデアはここ数日この機械のために徹夜続きだったため、もはや深夜も真昼もないのであった。
「キャッシュレス決済対応で速やかに支払い完了!もちろん混み合う食堂で他生徒を傷つけないようにプロペラは内蔵型!!いや~、肝心のブツを掴むためのアームとプロペラをしまう外殻の両立は重量の関係で無理かと思ったけど、実現させてしまうとは拙者天才では?!」
 デュフフ……と、イデアの怪しい笑い声だけが部屋に響く。
「さあ!おつかいドローンくん!やーっておしまい!レオナ氏のお目当てのブツを先に奪うのだ!」
 イデアがなぜ心身の無理を押してまでこのような機械を作成していたか。その理由は実にシンプル。
 イデアには獣人属がわからぬ。イデアは引きこもりである。映像作品を鑑賞し、ゲームで遊んで暮らしてきた。だが、推しコンテンツdisに対しては、人一倍に敏感であった。
 要するに、イデアはレオナにパンプキン騎士を馬鹿にされたことをめちゃくちゃ根に持っていたのだ。必ずかの邪智暴虐のサバナクローの王に勝ってみせる!あらゆる面で!あっ体力育成はちょっと無理だけど……。とにかく、ムカつくアイツを絶対に下してやる。奇跡は起きます!起こしてみせます!
 そんな燃える魂のもと、おつかいドローンくんは盛大にイデアの自室から送り出されたのだった。とはいえ、やることはただのおつかいなのだが。

 おつかいドローンくん作戦がうまく行ったあと、イデアは早速次の作戦に取り掛かった。ちなみに、デラックスメンチカツサンドは要らなかったので、寮の若いのに横流しした。
 部屋の隅で埃をかぶっていた参考書を取り出す。一度も開いた記憶がないそれに、イデアは今、立ち向かおうとしていた。そう、テスト勉強である。
 レオナの前では全然勉強してないと言ったが、そんなものはもちろん大嘘であった。めちゃくちゃ勉強した。まじで中学受験のとき並み、人生で一番勉強した。イデアは自分の人生を振り返って、後にそう述懐している。
 イデアの得意分野と苦手分野はハッキリしている。しすぎていると言っていいタイプだ。従って、全教科の順位は、得意科目の順位と苦手科目の順位が均されてさほど突出したものではなくなるのが常だった。得意科目の満点が5億点だったらいいのに……絶対5億点満点取るのに……と、このときばかりは天を仰いだが、そうは問屋が卸さない。世の無情を嘆きながら、イデアは薄暗い部屋の中、寝る間も惜しんで苦手科目の勉強に勤しんだ。まさしく、蛍の光、窓の雪を体現する勤勉さであった。無論、イデアが電気をつけなかったのは「なんとなく落ち着くから」であって、車胤や孫康の苦学と比べるものではないのだが。

 期末考査で結果を出すと、次は文化祭だった。体育祭では到底活躍できないから、ここで絶対にスゴイと言わせてやる!!とイデアは意気込んだ。今はあんなにかわいくなくてふてぶてしい無気力青年のレオナだが、彼とて同年代の男子、遊戯王はきっと通っているに違いない。イデアはそう考え、自作マシンを作り始めたが、途中からただの趣味だったことは言うまでもない。  
 そうしてこだわり抜いて制作した愛機に対するレオナのリアクションは、さほど芳しくはなかったが、特許マウントを取れたのでまあよしとしよう。今のところ順調だ、とイデアはほくそ笑んでいた。


*****


 その日のレオナは大層機嫌が悪かった。その不機嫌ぶりは、君子でなくとも近づくことを避けるほどにあからさまであった。したがってその日、複合クラスでの錬金術の授業で、レオナに近づこうという者はひとりもいなかった。賢明である。クラスメイトは「いやこんな日こそサボってくれよ」という気持ちだったが、そこは気高く若き獅子のこと。たとえ少し苛立つことがあったからといって――それはたとえば、実家からの煩わしい連絡であったり、ソリの合わないどこぞのトカゲ野郎と遭遇して煙に巻かれたことであったり、後輩の持ち込んだトラブルで昼寝が十分でなかったことであったりするのだが――それで予定を変更するのも癪なのであった。
 しかし悲しいかな、イデアは『オタク・コミュ障・引きこもり』という、空気読めない三大属性を一身に背負う距離感バグ男であった。レオナの纏う寄るな触れるなオーラに気づくはずもない。
 イデアはここのところ、機会があればいつもレオナとペアを組んでいた。自分の有能さを見せつけるチャンスだったからだ。イデアの与り知らないところではあるが、レオナも「張り切って勝手にやってくれてラクでいい」と思い、為すがままにしていた。そしてイデアは、その日もノコノコとレオナの傍らに腰を落ち着けてしまったのである。
 周りの生徒はハラハラしながら見ていたが、まさか当人の目の前で「大丈夫?殺されない?」などと助け舟ならぬ泥船を出すわけにもいかなかった。結局何もできないまま授業は始まってしまう。
 授業が始まってしばらくして、さすがのイデアもレオナの常ならぬ様子に気付いた。
 この男……何もしない。いや、いつもほとんど何もしないが、今日の何もしなさはすごい。目すら開けていない。始業時から一ミリも動いていないのではないか。
「あの……レオナ氏?」
  ピクリとも動かない。完全な無視。イデアはさすがにムッとした。そもそも、レオナが見ていないんじゃ意味がない。この男に自分の有能さをわからせるためにやっているのだから。
「レオナ氏も、ちゃんとやってよ。僕ばっかりやってるじゃん」
 無視。
「ねえ!!」
 レオナに向かって大きな声を出すと、その瞳がようやく瞼の下から覗いた。
 あ、起きた。それを少し嬉しく思ったのも束の間、レオナは喧しい音を立てて椅子から立ち上がった。
「……っとおしいなァ!!こないだから俺の周りをチョロチョロしやがって、なんなんだテメェは。俺が嫌なら俺に構うんじゃねぇよ!!」
 レオナが感情のままに椅子を蹴り飛ばすと、近くの壁にぶつかって何かが砕け散る破壊的な音を立てた。教室が水を打ったように静まり返る。自分を苛立たせた男のほうを認識して、レオナは即座に後悔した。
(やっちまった)
 ピッと小動物のように胸に手を寄せて縮こまった男は、その瞳にみるみるうちに涙を浮かべ、それはすぐに決壊した。
「おま……泣くことないだろ」
 いや、泣くだろう。言いながらレオナはそう思った。泣くとわかっていたから今まで何も言わなかったのだ。こんな弱者に牙を剥くなど獅子の名折れだ。教室の面々もレオナ同様、この状況をどうするべきかの解を持たないようだった。おい、誰かなんとかしろよ。レオナは無責任にもそう願ったが、それは叶えられる様子はなかった。
「おい……泣くな。今のは俺が、まあ、悪かった」
 誰も何も言っていないが、レオナにはなんとなく「あ~あ、泣かせた~」という幻聴が聞こえるような気がした。どうすんだこの空気。レオナは今まで、自分と同じくらい上背のある大の男に目の前で泣かれたことなどなかった。イデアの涙は、レオナになかなかの衝撃を与えた。つまるところ、レオナは純粋に困っていた。
 レオナの不器用な慰めもむなしく、イデアは今や俯いて肩を震わせて泣いていた。ひっ、ひっ、と漏れ聞こえる声がやけに痛ましく沈黙の教室に響く。その居たたまれなさに、レオナはますます焦った。そして、常ならば決して取らないようなあやし方を思いついた。
「おい。お前の好きな、アレだ。……ねこのみみ」
 猫!!!!!当人以外の教室の面々は、内心で驚き慄いていた。あの高慢ちきなレオナ・キングスカラーが、猫を自称して泣く子をあやすとは一体何事か。それは驚天動地の大事件だったが、クラスメイトたちは一言も言葉を交わすことなく、お互いを戒めあった。今絶対喋っていい場面じゃない。
 レオナはイデアのほうに頭頂部を見せるような形で歩み寄った。いいから泣き止め。とにかく泣き止め。さっさとこの空間を終わらせろ。それがレオナの心情の全てであった。
 イデアが微動だにしないのを見て、レオナは今一歩近づいた。イデアの頬に耳が触れるのを感じる。そのまま意図的に耳をぴるぴると動かした。耳が言葉を発するならば、そのときのレオナの耳のセリフは、さしずめ「ほ~ら、猫だぞ~。よ~しよし」というようなものだったであろう。レオナは脳内を「俺は猫……俺は猫なんだ……」という自己暗示でいっぱいにした。そうしないとプライドが暴れ出しそうだったので。
 しばらくそうしていると、衣摺れの音がして、イデアの身体が少し動いた。頬とは違う、何か柔らかいものが耳に触れた。ごく間近で暖かな吐息を感じる、そして――
「イッッッッ…………テェ!!!!!!!!!!!!」
 ガブリ。その鋭利な歯で、繊細な耳を噛み貫いた。
「れ、レオナ氏が……レオナ氏が、パンプキン騎士を馬鹿にするから悪いんだ!!僕ッ、僕は謝らないから!!嫌い!!いじわる!!怖い!!レオナ氏なんて……大っ嫌いだ!!」
 目から涙を、口から血(レオナのものだ、もちろん)を流しながらそう喚き散らすと、イデアは脱兎の如く教室から走り去った。が、レオナにその状況を把握する余裕はなかった。
(え?耳取れてねェか?コレ。ついてる?あ、ついてる……てかやべぇ、痛すぎて吐きそ……)
 血の気が引いて床に膝をつきかけたが、レオナはすんでのところで踏み止まった。視界が白んで、もはやどこが前でどこが後ろかもわからなかったが、ただ意地だけで自分の足で教室を出た。机やらドアやらに散々ぶつかりながら。
 レオナが出て行った後の教室では、いま見た光景に対して、たちまちのうちに割れるようなおしゃべりが始まったことは言うまでもない。


*****


「治さなくていいんスか?それ」
「……いいっつっただろ」
「でも、イデアさん教舎来ないじゃないですか。わざわざそのままでいる意味ないと思いますけどね」
 ラギーの言う通り、イデアはあの一件以来授業に姿を見せていない。それどころか、部室にも食堂にも出てきていないようだった。少なくとも生身では。
 いないからといって見ていないとは限らない。それに、見られていなければ意味がないという種類のことでもない。そうレオナは考えていたが、一から十までこの後輩に説明するつもりはなかった。自分が必要ないと言ったなら、余計なことはしない男だ。その上で、ただ自分の思うところを述べただけ。
 たしかに、この傷は魔法で治せば一瞬だ。だが、それをすべきではないとレオナは感じていた。自分も傷を負って、痛み分けのようにも思えるが、あれは自分が追い詰めたのだ。まさしく窮鼠猫を噛む、だ。あの内向的な男が物理に訴えるような形で感情的になるなど、よほどの精神的負荷を与えてしまったに違いない。いや、それでもそもそも鬱陶しい振る舞いをしたのはあちらであって……。だが、元はと言えば、なんだ?パンプキン騎士?そんなもんのために……?やっぱりアイツが悪くねェか?
 ここ数日、レオナの思考は堂々巡りだった。
 結局のところ、イデアの涙を、レオナはけっこう気にしていたのであった。その罪悪感のために、この耳の傷を引き換えにする必要があるのかどうか、それは正直よくわからなかったけれど。


*****


「死にたい……」
 イデアはシーツにくるまり、今日も今日とて自室の君の二つ名に恥じぬ生活態度で過ごしていた。
「もぉ~!またそんなこと言って!」
 愛らしい弟の声がシーツの外から叱咤激励してくれるが、それすらも今のイデアを奮い立たせることはできない。
「だって!!どう考えてもやり過ぎたよ!!もはや傷害沙汰!!う……耳、まだ治ってないじゃん……。いや、耳もだけど、それまでも、明らかにやり過ぎ。完全に僕が空回りして迷惑かけて恥かいて、レオナ氏にも恥かかせて……斯くなる上は……」
 イデアはタブレットで学内のレオナの様子を盗み見て、その耳に痛ましい傷が残っていることを確認した。
「斯くなる上は?」
 弟があどけなく聞き返すと、イデアはワッと泣き出した。
「斯くなる上は……ハラキリしかない!!」
「なくない!!なくないよ!!なんでそうなるの?!」
 何らかの刃物を取り出そうと工具箱に手を伸ばす兄を、オルトは力技でねじ伏せた。
「う……オルトつよ……オルトしか勝たん……」
 最愛の弟にベッドに押しつけられて、イデアはしおしおと全身の力を抜いた。
「もう、兄さん落ち着いて!今お茶入れるから、大人しくしててね!!」
 弟にぷんぷん!と怒られると、イデアは素直にベッドの上で丸まる他なかった。


*****


 レオナの元にその便りが届いたのは、耳の傷が塞がり、傷跡も薄くなってきた頃だった。学内はウィンターホリデーに向けて浮き足立ち、生徒たちの多くは、授業など既に上の空だ。
 レオナが教室に入って席につくと、それがトリガーになっていたらしい。机の上に、羽根のようにひらりと封筒が現れた。差出人はイデア・シュラウド……と書いてはあるが、本当かどうかはまた別の話だ。あの泣いた噛んだの大騒ぎは、人の口を渡り歩き、いまや全校生徒の知るところであるし。
 怪しい細工がされていないか、簡単な解呪の魔法を唱えてから封を切る。invitation の金色の飾り文字が踊る、それは招待状だった。
『拝啓 深秋の候、ますますご清栄のことと心からお喜び申し上げます。』
 いや取引先か?『invitation』との落差がすごい。レオナは思わずツッコんだ。そして、多分差出人に偽りはなかったのだろう、となんとなく思った。気を取り直して読み進める。
『このたび、映画「パンプキン・ホロウ」鑑賞会を下記の通り開催致します。ご多用のところ誠に恐縮ではございますが、ぜひご来場賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。



日時: あさって レオナ氏の部活が終わってから、なんか諸々済ませてレオナ氏のいい感じの時間になったら
場所: 僕の部屋(この手紙が案内してくれるから、とりあえずイグニハイドまで来て)
参加者: 僕とレオナ氏』
 なんというテンションがガチャガチャな手紙なんだ。頭痛がする。レオナは眉間を揉んだ。つーかコレ、俺が行かなかったら一人なんだろ。
「……パンプキン・ホロウねえ」
 はあ。レオナはため息をついて、誰に見せるでもないのにウンザリしたポーズを取った。その実、自分がどうするのかを既に知っていた。


*****


「…………なんで来たの?」 
 扉を細く開け、隙間からジトっとこちらを睨んでくる。
 いやお前が呼んだんだろーが!!!!と、言いかけたのをレオナは多大な努力を払って呑み込んだ。そうだ、こいつは噛む……。噛む生き物なんだ……慎重にならなければ……。
「……俺のところにお前からの手紙が届いたかと思ったんだが、何かの間違いだったか?」 
 レオナの言葉に、イデアはしばらく何も言わず、微動だにせず、こちらを睨み続けていた。言葉の選択を誤っただろうかとレオナが不安を覚え始めたとき、ドアがゆっくりと開かれた。イデアは何も言わずに部屋に引っ込んでしまったので、レオナはおずおずと部屋に足を踏み入れる。テレビをはじめとする電子機器の灯りしか点いていない、薄暗い部屋だった。
「電気つけろよ。なんでこんな暗くしてんだ?」
「暗いほうがいいでしょ、映画、観るから……」 
 それはわかるが、それなら今消せばいい話で、お前は俺が来る前からこの暗い部屋で過ごしていただろうという意味で……ああもういいか、めんどくせぇ。レオナはイデアに関して、スルースキルが著しく向上しつつあった。
「これを観ますが、よろしいですか……」
 イデアは顔を隠すようにブルーレイのパッケージを掲げ、こちらに見せてくる。
「本当は通常版も見てほしいけど、内容がほとんど同じの映画なんて、レオナ氏たぶん何回も見ないでしょ。一回しか見てくれないならコレ、絶対ディレクターズカット版。でも通常版にしかないコミカルなシーンなんかもあって、それも好きなんだけど……」
 好きなものの話をしているはずなのに、幽鬼の如く覇気がない。饒舌になるのは相変わらずだが。こちらの様子を伺うようにちらりと見ては、すぐに目を逸らしてしまう。少し前までガンガン突っかかってきてた癖に、調子狂うな。レオナは内心で舌打ちをした。
「……お前に任せる。好きにしろよ」


 イデアとレオナはテレビの前にクッションを敷いて座っていた。薄っぺらなクッションでレオナは尻が痛くなってきたが、それを口にすることはしなかった。イデアご執心の例のホラー映画自体は、冷めたところのあるレオナにとって、純粋に面白いと思えるようなものではなかった。しかし、度々入るイデアの解説――「ここはあの作品のオマージュ。同じスタッフが参加してるんだ」「このシーンがCG無しなのは、今は普通だけどこれが公開された当時は画期的で、この映画が新しい技法を開拓したわけ」「この住人役はプロの俳優じゃなくて、その場で雇った素人らしいんだけど、演技が大袈裟じゃなくて逆に緊張感が出てるよね。危機に鈍感な市民って感じで、観てるこっちと映画の中の危機感の温度差がゾッとする」――によって、思ったよりも楽しめた。少なくとも、ホラー映画史の中でこの映画にどのような意義があったかということや、ホラー映画の技法的な面での注目すべき点は理解できたし、そういう意味では興味深く鑑賞した。
 エンドロールが始まると、イデアが「あ」と声を上げた。
「そういえば、ジュースとかポップコーンとか買ってきてたんだった」
 そう言うと席を立ち、簡易キッチンのほうで何やらガサゴソと音をさせたかと思うと、生真面目にも、今更それらを携えて戻ってきた。いや、もういらねェよそんなもん。という思いを、レオナは胸の内に留めた。
「どうぞ」
「……ん」
 レオナは差し出されたプラスチックのカップを受け取った。こいつ、洗い物とかしないんだろうな、とレオナは使い捨ての食器を見て勝手な想像をする。まあ、自分だってラギーにやらせているだけなのだが。
 エンドロールも終わり、テレビにはただディスクのチャプターメニューが映っていた。数秒ごとにメニューの背景に映されるシーンが変わる。テレビの明かりに照らされるイデアの青白い肌は、ひどく病的な印象を受ける。
 いつもこうやって部屋に独りでいるのだろうか。いや、そんなわけはなかった。いつも一緒にいる存在を思い出して、レオナは尋ねる。
「お前、弟は」
「オルトは僕らを二人にするために、出かけていったよ」
「……別に気を使う必要なんてなかったんだが」
「そのほうがよかった?」
 僕と二人じゃ気まずいもんね。イデアが力なく笑った。
「そういう意味じゃねーよ」
 レオナはため息をついた。俺はただ、お前が、こんな暗い場所で独りぼっちなのかと思って……思って?
「オルトが、拙者とレオナ氏ふたりきりじゃないとダメだって言い張って……。自分がいたら、二人とも甘えるからって」
 甘えるという表現は心外だが、まあそうだろうなとレオナは思った。緩衝剤になるような三人目の人物がいれば、間違いなくそいつをクッションにしてコミュニケーションを怠けていただろう。
「手紙出しなよって提案してくれたのも、オルトなんだ。あ、でも、書いたのはちゃんと僕だよ」
 イデアは立てた膝の上に手を置いて、袖口を伸ばした。既に手を覆うくらい伸びているのに、何度も何度も執拗に。緊張しているのだろう。レオナは思った。
「……どうだった?映画」
 イデアはレオナのほうを横目で見ながら、おずおずと切り出す。
「……まあ、案外悪くなかった」
 半分は嘘だ。レオナが多少なりとも楽しめた要因は、作品そのものではなく、ほとんどイデアの解説のほうだった。だが、それを馬鹿正直に言う必要もない。もし一切楽しめなかったとしても、面白かった、と言うつもりでいた。少なくとも、これはそのための夜だと思っていたから。自分には似合わない、優しい嘘をつくための。
「つーか、別に馬鹿にしてねぇだろ」
「は?!したじゃん!!ダセェって言った!!」
「……言ったか?」
「お、覚えてないの?!」
「……そんなん、言葉のあやだろ、多分」
「そんな言葉のあやってある?!最低!!最低!!」
 レオナは実際覚えていなかった。多分あの、イデアが転んで一悶着あったときの会話が契機なのだろうとは思ったが、自分が何を言ったかなど一言一句覚えているはずもない。そのくらい何気なく、特に悪意もなしに会話していた。むしろレオナは優しくしてやったつもりでいたのだ。自分より明らかに弱き者にいつもそうするように。
 イデアは、ハア、とため息をつくと、自分の膝に顔をうずめた。
「……いや、違うんだ。今日はレオナ氏を責めたかったわけじゃない」
 顔を隠したまま、イデアが深く息を吸う音がした。
「…………ごめんね」
 顔を伏せたままとはいえ、虚勢だけでようやっと立っているようなこの男の口から、はっきりと謝罪の言葉を聞いたことに、レオナは純粋に驚いた。
「……いや、俺も、悪かった」
 なんだこれは。ごめんなさい。こちらこそごめんなさい、って。幼稚園児の仲直りか。レオナは自分たちの滑稽さに頭を抱えたくなった。
「耳……、まだ跡が残ってる」
 イデアの目が自分の頭の上に向けられるのに、レオナはバツが悪くなる。別にイデアに罪悪感を抱かせるために自然治癒に任せていたわけではない。
 イデアは手を挙げて、ベッドの上に転がっていたガジェットを引き寄せる。それは手のひらの上でくるくるとおどけるように回って、瞬間、燃え上がるように青く煌めいた。イデアは治癒魔法の仕上がりを確かめるために、レオナの耳に手を伸ばす。さりさり、と指で撫でられるのを享受しながら、レオナは思った。それでも確かに、この傷はきっと、こういう形で癒されるべきものだったのだろう、と。
 レオナの耳から手を離し、代わりにドクロを手の中で弄りながら、イデアはぽつりと零した。
「今日、……どうせ来てくれないと思ってた」 
 レオナが視線だけで促すと、イデアはたどたどしく言葉を紡ぐ。
「このまま仲直り……しなかったら、僕はきっとレオナ氏を避け続けたし、僕なんかの顔、二度と見なくて済んだかもしれないのに」
 なんで来たの?イデアはレオナを見つめたかと思うと、またすぐに視線をそらしてしまう。最初に言っていたのはそういうことか。レオナはようやく合点がいった。コイツは言葉が少なすぎる。
「俺だってそう思ったぜ。このままお前が引きこもってんなら、運が良ければ二度と会うこともないかもなって」
 う。イデアが呻くような声が聞こえた。
「……考えて、それで?」 
「それはそれで嫌だ」
 イデアがキョトンとした表情でこちらを見上げた。
「お前のいないところでお前のこと考えてんのも、お前のいないところで塞がったはずの傷口が疼く気がするのも、ぜんぶ癪だ。一生このままより会った方がいい」
 そうだろ?と当たり前のような顔でのたまうレオナに、イデアは混乱した。この男は自分をからかっているのだろうか?それとも本当に天然なのだろうか?こんなに無防備な男だったか?
「あのさ……え?いや……何言ってんの?」
 さっきまでとは違う理由で、イデアはまた手で顔を隠す。礎を失ったガジェットが、その周りをふわりと一回転した。
「なんだよ」
 レオナがまったく平素と変わらない調子で話しかけてくるのが、イデアには信じられなかった。
「それさぁ……まるで僕のこと好きって言ってるように聞こえる」
 そう思ったままを口にしてしまってから、しまった、と思った。こんなの絶対自意識過剰だ。どうして自分はこうやって考えなしに、言うべきでないことを口にしてしまうのだろう。どれだけ深く賢者タイムに浸ろうと、口をついて出てしまった言葉は戻らない。恐ろしくて顔を覆う手を外せないでいると、ふ、とレオナの笑う声がした。指のあいだから、恐る恐るそのほうを見ると、レオナは見たことのない顔をしていた。苦笑しているような、ニヤニヤしているような、変な顔。
「ど、どういうきもちの顔ですか……」
 イデアが怖々口を開くと、レオナは口元に手をやって、それから頭のうしろに手を持っていったりと、はっきりしない態度を取った。
「いや……知らなかった」
「し、知らなかった?」
「いま知った。お前やっぱ頭イイな」
 え?なに?どゆこと?イデアは理解が追い付けないまま、ちらちらとレオナのほうを見ては視線を逸らした。ふう、とレオナがひとつ吐息を落とした。その音に釣られてまた視線を遣ると、さっきまでなんだかムニャムニャしていたレオナは、どうやらすっかり落ち着いたようだった。レオナが、イデアが座っているクッションのすぐ近くに片手をつき、一気に距離が縮まる。いつもそばにいるオルトとは違う、他人の体の気配を間近に感じて、イデアは狼狽える。
「……お前、俺からよく目逸らすだろ」
 改まってそう指摘されて、イデアはどこを見ればいいのかわからなくなって目を泳がせる。
「ぼ、僕は誰にだってそうだよ……」
 どうだか。レオナが得意気に笑った。
「目をそらすのは、見るべきではない場所を見ていたと自覚したときだ。それをごまかすために、見る必要のない場所にキョロキョロ視線をやる」
 お前がどこを見てるか教えてやろうか?いじわるな笑みを浮かべてレオナがそう投げかけてくるのに、イデアは嫌な予感しかしなかった。
「お前、俺のこことか、こことか」
 レオナが自身の唇を、信じられないほどいやらしい仕草で指でなぞった。それから首筋、そして開かれた制服の胸元へと指を滑らせる。ただそれだけの仕草を、人はこんなにも扇情的にこなせるのだと、イデアは生まれて初めて知った。
「そんなとこばっか見てる。それで慌てて目をそらす」
 目の前の男の所作と言葉に、頭をガンと殴られたような衝撃が、今更遅れてやってきた。カッと顔が赤くなるのを感じる。髪の毛もきっと色付いているだろうと思ったが、思ってもどうしようもなかった。鼓動はうるさくて、少しも落ち着く様子がない。
「う、うそ!!見てない!!絶対見てない!!」
 ふ、とレオナが吐息だけで笑みをこぼした。それがあまりにも艶めいていて、その手がこちらに伸ばされるのを、イデアは結局何もできずにただ見ていた。
「くれてやろうか?お前の好きなココ」
 視界が暗くなる。彼の顔が近づいて、もう、その瞳のらんらんと輝く様しか目に入らない。
「……噛むなよ?」
 レオナが媚びるように、怯えるようにそう口にするのを、可愛いと思ってしまった。もうだめだ、とイデアは白旗を上げた。




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2020.11.06



作業中のBGM 『お勉強しといてよ』 ずっと真夜中でいいのに。

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