2016年12月30日発行シャアガルアンソロジー『宮殿を建てる』様に寄稿させていただいたシャアガルのお話です。再録のご許可をいただきましたので、このたび掲載させていただきました。





 早朝、自分で淹れたコーヒーに口をつけながら新聞を開く。いくつかの新聞を眺めては屠り、また新しい新聞に目を通す。ほとんど目の上を滑っているように見えるときもあれば、時間を割いてひとつのページを眺めているときもある。それは必ずしも一面ニュースではなく、その関心の基準は本人以外あずかり知らないところであった。
 日課となっている作業のなかで、シャアは大きなニュースの下に小さく載せられた、ささやかな報せを目にした。組織を率いる者として、時勢を知るべくあらゆる情報にアンテナを伸ばしているが、今回そのニュースがシャアの目を引いた理由は、シャアの政治的な立場とは関係がなかった。
 小惑星C58085。広い宇宙のなかでは取るに足らない平凡な星だが、連邦政府が資源確保のためにその星に基地を作ったらしい。その星から採掘される資源など、たかが知れたものだ。それ自体は重要ではなかった。
 シャアは窓際に歩み寄り、作られた空を見上げた。そこから、今は亡き友との思い出の星が見えるはずもないことはわかっていたのに。

*****

 まだ若かった頃、士官学校の任務からの帰り。ガルマとふたりで乗っていた宇宙船が故障し、小惑星に不時着するというちょっとした事故があった。もちろん、ふたりの船に異常が発生したことは同行していた他のいくつかのチームが知っていたし、ガルマのこととなれば、あの校長がすぐに捜索隊を派遣してくれるだろうこともわかっていた。助かることがわかっている、いわば優雅な遭難だ。
「核融合炉は正常。発電機に何か不具合があるらしい」
 ガルマは前髪を弄びながら言った。モニターに映る宇宙船の見取り図の中で、発電機の箇所だけが赤く点滅している。明滅する光が規則的にガルマの横顔を赤く照らした。
「だが、安全装置が正常に作動したようだ。今はエンジン全体が停止している。危険はないだろう」
 ガルマのその結論に、シャアも異存はなかった。
「遠からず迎えが来るだろう。わざわざ危険を冒して、付け焼刃で修理すべきじゃないな」
 シャアがそう言ってモニターを消すと、宇宙船の見取り図が映っていた場所に黒い宇宙が広がった。実際には船を泊めている星の地面が視野に入っているはずだが、暗くて視認することはできない。ガルマはシートの上で伸びをして、大きく息を吐き出した。それからシャアを見上げて目を輝かせる。
「探索してみるか?この星」
 当座の方針が決まって安堵したガルマは、どうやらこの状況にわくわくしてきたらしい。本当に子どもっぽいな、とシャアは苦笑した。
「命綱で動ける範囲なら、別にいいんじゃないか」
 シャアの返事を聞いて、ガルマは喜び勇んで船外作業用の宇宙服を着込み始めた。それを眺めていると、ガルマがしゅぴっとこちらを向いた。
「君も来るんだろ!」
 シャアは肩をすくめて、宇宙服を取りに行った。
 宇宙船のライトを点け、周囲を明るくしてから船の外に出る。タラップを伝って、弾まないよう慎重に星の大地に降り立った。前を行くガルマの、まるまるとした宇宙服の後ろ姿が、ぼむ、ぼむ、と不格好に歩を刻んでいく。それを見てシャアは笑いそうになったが、自分も似たようなものだろうと思った。重力のほとんどない小さな星では、歩くだけでえらく骨が折れる。その証拠に、いつまでもガルマの背中に追いつけない。ガルマの背中から延びる命綱が、シャアの顔のすぐ横で音もなくたなびく。聞こえるのは自分の呼吸だけだった。
 宇宙船のライトと暗闇の境目まで行くとガルマは立ち止った。シャアはようやくガルマに並んだ。光の先端に立って、ガルマは眼下に広がる闇を見下ろしている。シャアも彼に倣って佇んだ。遠くで瞬く星々を見ていると、遠近感覚が奪われる。夜空にまっさかさまに落ちてしまいそうだ。そんなはずはないのに。
 ガルマが頭を傾け、コツン、とシャアのヘルメットに自分のそれを触れ合わせた。振動が伝わり、ガルマの声が聞こえた。
「不思議だな。スペースノイドなんて言うけれど、宇宙は決してボクらを歓迎してはいない。この分厚い布を剥いだら、ボクは一分も生きていられないんだ」
 ガルマはどこまでも続く茫洋たる闇を見つめたまま言った。
「結局人間は、地球の生き物なんだな」
 広い宇宙に、ちっぽけな人間がたったふたりきり。この孤独な空間でなければ、ジオン公国の公子として、ガルマは決してそのようなことを口にしなかっただろう。シャアはガルマの瞳を見つめた。彼もこちらを見た。その瞳はたくさんの光を湛えているように見えた。映り込む星の光だろうか、それとも。もっとよく見ようとしたが、それ以上近づくことはできなかった。
 このバイザーが邪魔だ。シャアはヘルメットの存在を忌々しく思った。ごく自然に。
 宇宙船に戻ると、シャアはすぐに嵩張る宇宙服を脱いだが、ガルマはいつまでもそれを着たまま重力の少ない船内を漂っていた。
「いい匂いがするんだ。宇宙の匂い」
 何をしているのかと聞くと、ガルマは楽しそうにそう答えた。
「そうかな」
 シャアはそんなものを感じたことはなかった。
「するぞ!甘い匂い。ラズベリーの匂いに似ているかな」
 ガルマは空中で体育座りをして、自分の膝頭に顔をうずめて深く息を吸い込んだ。シャアもふよふよと浮かぶガルマを捕まえて、彼の宇宙服に顔を近づけた。
「ほんとうだ」
 宇宙に匂いがあるなんて知らなかった。シャアはしばらくスンスンと鼻先を動かしていたが、ふとガルマが真っ赤になっていることに気が付いた。目が合うとガルマはシャアを突き飛ばし、反動で後ろにくるくると流れて行った。
「も、もういいだろ!」
「あ、ああ……。大丈夫か?」
 シャアが気遣うも、ガルマは遠くから「大丈夫だッ!」と怒鳴り声を寄越した。
 ようやく宇宙服を脱いですっきりした体型に戻ったガルマは、先にシートに腰かけていたシャアの隣に収まった。シャアは温めておいてやったガルマの分のスープを渡してやる。飛散を避けるため、少しずつストローで飲むしかないが、それでも宇宙航行者たちのストレスを癒すには一定の効果があった。
「あ、ありがとう……」
 ガルマは決まり悪そうに、前髪をくるくるといじりながら受け取った。ふたりはしばらく、メインモニターのパノラマの宇宙を眺めながら黙っていた。ふたりのあいだで、沈黙は既に苦ではなかった。ガルマは飲み終えたスープの容器を捨てに行くときに、ついでにシャアのぶんも持って行ってくれた。それはガルマがもともと持ち合わせていた細やかさではなかっただろう。ガルマは、自分に好意を抱いて、自分といるうちに変わったのかもしれないとシャアは思った。
 しかし、たとえばスープの容器を捨ててくれるというそれだけのことが、愛の証明になり得るだろうか。まさか。シャアはかぶりを振った。
 鬱屈とした思索を重ねているあいだにガルマが戻ってきて、何も言わずにシャアのシートの手すりに腰かけて身を寄せてきた。シャアの脳裏に「なつかれている」という言葉が浮かんだ。しかし、仮にも恋人ごっこのような関係を築いている相手に対して色気がなさすぎると思い、その言葉は胸にひっそりとしまっておいた。ふたりはじっと身を寄せ合って、ただゆっくりと時間の過ぎるままにさせた。目の前に広がる宇宙空間は、もはや先ほどのような畏怖の念をふたりに抱かせなかった。
「ずっとこうしていられたらいいのに」
 ガルマがぽつりと溢した。その無垢な言葉は、しゃぼん玉のように七色にきらめきながら宇宙船のなかをぷかぷかと漂った。そして最後にシャアの胸元にたどり着き、じわりと泡が染み込むように消えていった。
 ずっとガルマと二人で、この星で。シャアは意図せず、その暮らしを想像した。想像せざるをえなかった。そういう力が、ガルマの声にはあった。あるいは、それは自分のなかにはじめからあった思いだったのだろうか。非現実的な話だ。資源も食料も一生分にはとても足りない。それでも、想像のなかのふたりはいつまでも幸せそうに暮らす。たとえ青い星が滅んでも。
 シャアはその想像に惹かれた。瞳を閉じて思い描く。過去と未来と運命から解き放たれ、二人の王子が並び立つ、自分たちだけの夢の星。国民はいない、王子だけの国の、きらきらと輝く空っぽの王冠。シャアはその光の温度を瞼のむこうに感じることができた。
 ガルマが腕にしがみついたまま寝息を立て始めたため、シャアは隣のシートに座らせてシートベルトを留めてやった。小重力空間で無防備に居眠りできるガルマに呆れたが、しばらくするとシャアも自然とまどろみ始めたのだった。
 それからどのくらい経っただろうか。宇宙の常夜の側では、時間の経過を実感することは難しかったが、それほど時間は過ぎていないだろうとシャアは思った。ふたりの穏やかな眠りを妨げたのは、向かってくる救助船の光だった。その光は無遠慮で、ふたりの宇宙船の中まで明々と照らし出した。鋭い光にシャアは目を細めた。
 救助船を見て旅の終わりを知り、シャアは微かに失望している自分に気づいた。
「やった、これで帰れるな!」
 隣でガルマが喜びの声を上げた。シャアは向かってくる船から目を離し、勢いよくガルマのほうを向いた。その横顔の無邪気さに驚いた。
 ガルマはふたりの星の夢をあっさりと忘れ、迎えの船に笑顔で手を振っている。
 シャアは薄々予想していたが、救助隊にはやはりガルマの兄自身が加わっていた。ふたりは有無を言わさず大きな船に乗せられ、なんの心労もない安楽の帰路についたのだった。
 ふたりの旅はそうして終わった。

*****

 きっとガルマは、あの星の名前すら知らないままだったに違いない。見えない星を見上げて窓辺に佇んだまま、シャアは根拠もなくそう思った。
 あのかわいらしい遭難のあと、シャアは学校の図書館であの星の名前を調べた。その星が名前らしい名前すら与えられず、ただ記号を振られただけだったことにかすかに落胆した。特別であってほしかったのだ。それでも、ただの記号の羅列を今日に至るまで決して忘れなかった。そんな自分をシャアは嗤った。
 ガルマは一度も愛を証明してはくれなかった。自分の内から生まれ出る愛も、他人から与えられる愛も、なんの証拠もなく信じることのできたガルマ。それができない自分が不誠実だったのだろうか。愛を秤にかけさせずにはいられない自分が愚かなのだろうか。
 あのときガルマがふたりの王国を選んでくれていたならば、何かが変わっただろうか。
 未練たらしさを自覚して、シャアは苦笑した。足りない、まだ足りないと思っているうちに、手にしていたはずの僅かな光すら見失ってしまった。そんなことばかり繰り返してここまで来たような気がする。
 諦念と共に瞳を閉じると、あのときと同じ光が見えた。目を開いて探しても見つからなかった星がそこにあった。
 あの小惑星に連邦が基地を作ったということに思いを馳せ、シャアは不思議な気持ちになった。とても信じられない。それはたしかにあの星の話のはずなのに、まったく別の星のことのように思えた。だって、今も変わらずここにあるのに。
 シャアは星の大地に、ずんぐりむっくりとした宇宙服を着て立っていた。隣にはガルマがいた。あの頃から何ひとつ変わることなく、ふたりの星はそこにあった。連邦の基地など見当たらない。ふたりだけ。そして、足りないものは何もなかった。
 ただそこにあることが重要なのだと、あの頃は思うことができなかった。どうしていつも遅すぎるのだろう。
 シャアはガルマを見た。その瞳の光を見た。星の光だろうか、それとも。もっとよく見ようとしたが、それ以上近づくことはできなかった。そして、それでよかった。




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2016.12.30

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