柱間:旧型アンドロイドで博士、感情に乏しい
マダラ:柱間が作った最新型アンドロイド、人間っぽい
そういう感じです






 朝食というものは、不思議なことに、多くの異なる文化に共通して、幸福や希望といった肯定的な概念を象徴する記号である。
 マダラは目の前にある完璧な目玉焼きを見て、最近本で読んだそんな文章を思い出す。箸で割ると、半熟の黄身がとろりと流れ出して真っ白な皿を汚す。マダラは柱間と向かい合って座っている。テーブルの上には食事一人分。
 目玉焼きを口に運びながら、どうして柱間にこんな完璧な料理が作れるのか心底不思議だとマダラはいつも思う。味覚もないのに。しかしそれを言うなら、柱間が作った自分に味覚があることが不思議なのだ。
 柱間はにこにこしながらマダラの食事を見ている。マダラにとってはもうとっくに見慣れてしまった笑顔だ。柱間の表情のパターンはそう多くない。
 柱間はたいそう古い時代に作られたアンドロイドなのだろう。そうマダラは思っている。マダラは柱間がいつ作られたのかを知らない。それは柱間自身も把握していないようだった。どうも途中で一回データが吹っ飛んだようだ。目覚めて以来、ずっとこの海辺の白い家で、アンドロイドを作る研究をしているらしい。誰がなんのために作ったのだかさっぱりわからない。
 人類のほとんどが宇宙に移住して久しいが、柱間はおそらく人類の機能がまだ地球に置かれていた時代に作られたものだろう。自分との性能の差を考えると、そのくらい昔のことだろうとマダラは予測している。
「うまいか?」
 柱間が首を傾げて問いかける。
「…うまい」
 マダラが答えると柱間はまたにこにこと笑う。魚は毎日食卓に上るけれど、卵は久しぶりだった。なかなか手に入らないのだと以前柱間が言っていた。柱間はよく近くの街に行き、そこで買い物をしてくる。人間社会の機能はすべて宇宙に移り、地球はもはや無法地帯だ。環境の汚染された地球に残された人類は棄民同然なのだ。そして生きるためになんとなく寄り合うようになり、この近くの街のような集落ができた。おそらく地上にいくつもそのような集落があるのだろう。もっとも、マダラは街には行ったことがなかった。家の中と、バルコニーから砂浜まで。それがマダラの世界だった。バルコニーを降りてすぐ、砂浜とのあいだに雑草の花畑があり、伸び放題の背が高い草花に隠れて物思いにふけるのがマダラのやすらぎの時間だった。
「ごちそうさまでした」
 マダラがそう言うように教わった呪文をきちんと唱えて箸を置くと、柱間がいそいそと席を立ってマダラの目を覗き込む。額に手を当てたり、首元を触ったりしながら、ふむふむと何事かを確かめる。この瞬間、マダラはいつもそわそわして落ち着かなくなってしまうのだった。
「ん!遊んできていいぞ」
 柱間はそう言ってあっさりと離れようとする。落胆しそうになる自分を奮い立たせ、マダラは柱間の体を引き寄せた。柱間の唇に自分のそれをぺたりとくっつける。冷たい。堅い。自分で仕掛けておいて驚いてしまい、マダラはすぐに唇を離した。
「……恋をしたときはこれをするんだろ?俺、本で見たんだ」
 マダラがまっすぐ目を見て言うと、柱間は笑った。
「お前はまだほんのちょっとしか生きていないから、うまく心が扱えておらんのだ」
 それを聞いて、マダラは頭にカッと血が上るのを感じた。目の前が真っ赤になって手が震える。
「そんなんじゃないって言ってるだろ!!バカ!!冷血博士!!」
 マダラはぽいぽいと空っぽの皿を投げたが、それは柱間の堅い体にあたって無残に砕け散った。くやしい。
「アンドロイドは恋なんかせんのだぞ、マダラ」
 笑顔のまま晴れやかに説く柱間への激しい怒りに、目元が熱くなる。泣いてしまう、そう思ってマダラはバルコニーから家を飛び出し、海に向かった。

 柱間は長い年月を掛けて―おそらくそうだろう―マダラを作っておいて、手伝いや労働をさせることはなかった。ほとんどの時間を柱間は地下の研究所で過ごす。そのあいだマダラがしなければならないことは何ひとつない。柱間の言葉を借りれば、遊ぶしかすることがないのだ。膨大な時間を、マダラは柱間の蔵書を読み漁ったり、ラジオを聴いたりして過ごした。この星や人間の歴史も本で知った。人類が宇宙に移住してからの地球のことは、だからあまりよくわからない。出版社とかいうものも無くなってしまったから。

 波が寄せては返すのをぼんやりと眺める。潮風がマダラの火照った頬を少しずつ冷ましていった。ずっと遠くの海から空に向かって、光の柱が伸びている。今はもう一方通行になってしまった軌道エレベーター。あれを憎んでいる地球の人間もいるのだという。マダラにはよくわからなかった。ただ、きれいだな、と思う。
 海を眺めて気を落ち着けたマダラは、そっとバルコニーからリビングを覗き込んだ。誰もいない。マダラが投げた皿はもう片付けられていた。柱間は研究室に降りてしまったのだろう。
 忍び足でリビングに入ると、カウンターキッチンに置かれた古いラジオを手にとって、そそくさと外に戻った。さきほど取り乱してしまったから、恥ずかしくて柱間に会いたくないのだった。
 雑草の生い茂った野生の花畑に寝そべる。ラジオの電源を入れてアンテナを伸ばす。今日は金星の歌のラジオの日だ。マダラは淡々と古いラブソングだけを流すその番組を気に入っていた。ダイアルをいじるうちに、ブツブツと雑音混じりの女の歌声が流れだす。きっと大昔、この地球で録音された曲だ。マダラはなんとなくそう思った。そして、そのほうがロマンチックだとも思っていた。
 マダラはうっとりと目を閉じて、地面に顔を伏せた。熱を持った目元に、ひんやりとした土が気持ちよかった。柱間が呼びに来るまで、ずっとそうしていた。

 ある日、柱間に呼ばれて家の玄関を出ると、既に車が待っていた。あちこちに凹みがあるオンボロ自動車だが運転手つきで、街から呼んでおいたらしい。出掛けるとは知らず薄着で出てきたマダラに、柱間は手に持っていたコートを着せた。ボタンが五つ付いていて、ぜんぶ柱間が留めてくれた。柱間自身は黒くてまっすぐな、なんだか筒みたいなコートを着ていた。マダラは車のなかで何度も居住まいを正した。コートは黒くてモコモコしていて動きづらかった。けれどマダラは嬉しかった。柱間のだいじなものになったみたいで。
 ぷすぷすと煙を上げ、不安なリズムでゆっくりと進む車に揺られながら、街に行くのだと初めて知らされた。マダラは浮足立つ心を必死で隠して尋ねた。
「なんのために?」
「いろいろ研究に必要なものがあってな」
 柱間は機嫌良さそうに黒い手帳を取り出した。入り用な物をメモしてあるらしい。
 マダラは柱間の手帳のつるつるした表紙を眺めた。研究に必要なもの。
「お前も、友達がいたほうがいいだろう」
 マダラは目の前が真っ暗になって、時間が止まったかのように感じた。
「なんで……」
 なんでそうなるんだ?
 ドアを開けて、今にも止まりそうな速度の車から飛び出した。


 マダラはもつれかける足を叱咤してがむしゃらに走った。おいおいと声を上げて泣いた。もう嫌だ。柱間は俺の心を全然わかってない。いや、柱間には心なんか無いんだ。自分と柱間の原理上の違い。柱間はそういうふうにはできていない。マダラは心の底から悲しくなる。
「マダラ!」
 追ってくる柱間の声がして、マダラは泣きじゃくって腫れ上がった脳みそで必死に手足を動かそうとする。しかしそれはいたずらに空気をかき回すだけのお粗末な抵抗だった。柱間に簡単に追いつかれて腕の中に囚われてしまう。その心と同じくらい冷たい身体に。
「放せ!クソサイコ博士!ポンコツアンドロイド!」
 マダラは暴言を吐きながら滅茶苦茶に暴れたが、柱間は意に介さずマダラの顔をがっしと掴んで覗き込む。
「マダラ、悲しそうだな!」
 そう言って柱間はにっこりと完璧な笑顔を作るのだった。
 マダラは胸にぽっかりと穴があいたように虚しくなる。柱間はいま、自分の作った感情という機能が作動しているのを確認して満足しているのだ。柱間はそういうふうにしかマダラの感情を捉えられない。自分で心を植え付けておいて、その心がどんなに熱くて激しいのかを知らない。
 どうしてこんな奴に心の機能を作ることができたんだろう。マダラはいつも理不尽に思う。いっそ心なんかなければよかったのに。お前と同じように。
 柱間は今きっと、これから作るアンドロイドのことに考えを巡らせている。マダラに付属させることのできたこの機能は、今後はもう容易く作ることができると、これからの展望を頭の中に描いてる。それがマダラを怒りと悲しみでまたぐちゃぐちゃにするのだ。
 俺はこれからのアンドロイドなんかのために、怒ったり泣いたりしてるんじゃないのに!!


 この家を出て行ってやる。マダラはそれまでも何度も繰り返し考えたことをまた夢想する。この家を離れて街に行けば、人間が腐るほどいる。
 生まれつき心の備わった人間たち。その中には、きっと自分を愛してくれる変わり者もいるだろう。少なくとも、ありもしない柱間の心を手に入れるより、きっとずっと容易だ。誰かに愛されて、お前が見向きもしなかった俺にそういう価値があったのだと、柱間に見せつけてやりたい。
 しかしマダラにはそれを実行に移すことができない。家を飛び出して誰かと愛しあったとしても、柱間は何も感じてくれない。それがわかっているから、これはただの夢想なのだ。

 柱間がそのように作られたことは、柱間の罪なのだろうか?わからない。それでもどうしたって柱間を責めてしまう。不毛だ。こんな死にかけの星で、俺たちほんとに不毛な二人だ。とっくに宇宙で死んだ誰かが、人工知能に見た夢の続きを、この狭い世界で追い続ける。いつまでも。


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2016.03.13

作業中のBGM 『COSMIC BOX』 YUKI

読みました(拍手)

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