夢の汀でもう一度
※無料配布本に載せた短い話※


 てこてこかんかん、てこてこかんかん。
 ガルマの靴音は彼の心をそのまま表している。今日のガルマは上機嫌だな。シャアは半ば夢に身を沈めたまま、しだいにドアに近づいて来る音を聞いてそう思った。こういうときのガルマの足音は、いつもシャアに在りし日のたわいもない風景を思い出させる。

 テンテンカツカツ、テンテンカツカツ。
 午後のあたたかい光の射し込む子ども部屋で、ガルマはもみじのような手におもちゃのバチをきつく握りしめていた。難しい顔をして、力まかせに、子ども用の小さな木琴の同じ鍵盤ばかりを叩いている。キャスバルは、中庭でなにやらまじめな話をしているふうの大人たちを窓から観察していたが、偵察はガルマの立てる鋭い音にしばしば妨げられた。その耳をつんざくような音に、ガルマ自身不満そうに唇を突き出している。力任せに叩きすぎるのだ、とキャスバルが思ったとき、ガルマは助けを求めるようにこちらを見た。呼ばれるままに歩み寄るキャスバルに、ガルマは無言でおもちゃのバチを突き出した。
 キャスバルはガルマの繰り返し叩いていたのと同じ鍵盤を叩いた。その音の自分のものと違って柔らかく響くことに、ガルマはきらきらと目を輝かせた。楽しそうに、キャスバルの手の紡ぐまろやかな音を口で真似る。てこてこかんかん、てこてこかんかん。キャスバルはガルマにバチを返そうとしたが、ガルマはもう自分で叩くことに対する情熱を失ったようだった。てこてこかんかんの歌を繰り返し口ずさみ、キャスバルに続けるように促す。キャスバルは仕方なく、また鍵盤を叩き始めた。毛糸玉のようにころころと弾む木琴の音と子どもの声が折り重なって、部屋をくるくると満たした。

 遠い日の記憶から醒めたとき、いつまでも廊下の靴音がこの部屋に辿り着かないことをようやくシャアは怪訝に思った。
 ふとシャアは悟った。これは夢だ。ガルマの歌うような靴音を聞くことはもうない。バチを握りしめて白くなった指先も、軍靴に隠された痛みを知らない足も、すでにこの世のどこにもありはしないのだ。引き寄せて捕まえたかった足音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。

 夢の子ども部屋で、シャアはひとり木琴を叩いていた。
 てこてこかんかん、てこてこかんかん。
 まるい音は、たちまちのうちにやわらかな陽射しに吸い込まれていき、誰の耳に届くこともなかった。




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2013.03.26


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