椿

※闇医者扉間×人斬りマダラ
イズナは死んでます(?)がもしかしたら扉イズとイズ→マダでもあるかもしれない。
死ネタ(??)注意です。



「こんなもんだろ」
 扉間は鋏で手早く包帯を断つと、余った包帯の端を巻き取りながらそう告げた。手元の木箱に手際良く道具を戻していき、簡易な手術室と化していた四畳一間はたちまち只の整然とした居間となる。もはや異質なのは、血を吸って黒くなった綿だけだ。いや、それから自分だ、とマダラは思う。
 扉間がこちらを見ていない隙に、早速傷のある肩口を回そうとすると、すかさずたしなめられる。
「まだあまり動かすな。肉はつながっていないんだからな」
 平坦だが決然とした声だ。マダラは粛々と腕を下ろした。既に痛みはなかった。
 扉間は腕が立つ。それにも関わらず、彼が看るのは日陰に生きる者のみだ。無論報酬は堅気のそれより良い。確かな腕を持ち、夜と血の匂いと共に訪れる者に一切事情を聞かない、誰にも口外しない。この都で一番の闇医者だ。しかし、いつ命を狙われるかもわからず、社会的な立場もない。
 扉間がこのような立場に甘んじているのは自分のためであろう。扉間にそうと言われたことはないが、マダラはそう思っている。扉間は自分に借りがあるつもりでいるのだ。マダラは貸しを一々帳簿に付けるような男ではないが、こうして自分を看る立場に居てくれることには含みなしに感謝している。いまとなってはマダラにとってただ一人の友人なのだ。
 それでも扉間は自分とは違う。彼はひとを生かす者だ。それはマダラの内で覆ることのない、確固たる認識だった。彼の生業に、マダラは責任を感じていないというわけではなかったが、それについて何を言うでもなかった。一人前の男が決めた己の身の振り方だ。口を出すものでもない。
 黙って煙管をふかしていると、扉間がじっとこちらを見ている。扉間にこんな風に見つめられるといつも、自分という人間を突き抜けて他の何かを見られているようにマダラは感じる。それは奇妙な感覚だった。自分がこの時間から切り離されたような、あるいは扉間がこの世界のあちらがわに行ってしまったような、そんな錯覚を起こさせる。そして、こういうときに言われることは決まっているのだ。
「……疼くか?」
 マダラはやれやれと白い煙を吐いた。
「そんなしょっちゅう見ても何も変わらないだろ」
 邪険な物言いをしながらもマダラは扉間に背を向け、後ろ髪を浚って胸元に垂らした。晒されたうなじには、醜く引き攣れた古い傷痕がある。赤子の掌ほどの紅葉のようなそれは、周りより白く硬い皮膚で覆われている。
 扉間はずりずりと膝でマダラに近寄り、露わになった傷跡に指を伸ばした。触れる前からそのわずかな熱を感じ、マダラは小さく肩を竦めた。
 疼くのは、お前が触れるからだ。
 扉間に醜い傷を晒すとき、マダラはいつもそう思う。しかしそれをうまく伝える術を持たない。
 生まれたとき、マダラの身体には頭が二つあった。マダラの首元に宿を借りるように、小さな頭がもうひとつ。
 二つの頭を抱えていては、赤子の身体は耐えられない。小さな頭を切除し、マダラを生かした。それが、マダラの生まれた村の大人たちの選択だった。この世から切り離された片割れは丁重に供養され、人としての名前も与えられた。イズナ。
 物心のついた後、大人の会話の端々から理解したことだ。生まれたときの記憶はない。しかしマダラはイズナをよく知っていた。
 イズナはいつもそばにいて、マダラのことを見ている。

 扉間の家を後にして、マダラはのろのろと歩いてすぐに立ち止まる。白み始めた空を見上げ、息を吐く。扉間と別れるといつもほっとする。それがマダラには不思議だった。どうせまた自分から会いに行くのに。
 扉間の家は薄汚い歓楽街の裏通りにある。早天の街は冬の空気の中で、賑やかな夜とは打って変わって静まり返っている。それがマダラを余計に物寂しい気持ちにさせた。



**********



 マダラは街外れの集落に寝起きしている。穢れを担う者たちの集落。外ではこの集落の人間たちは歓迎されない。特に昼間は。だが、集落の外に出ずとも生活は回るように出来ている。特に不自由はない。
 マダラが集落の商店で買い物をしていると、鷹が一羽飛んできた。その足に括り付けられた文を外すと、鷹は颯爽と空に舞い戻っていく。間借りしている家に戻り、折りたたまれた紙片を開く。マダラは小さく眉をひそめた。
 今日の今日とは、お上はいつも無茶を言う。

 マダラは笠を被って顔を隠し、夜の町に出た。ひと気のない道を選んで歩きながらあくびを噛み殺す。昼に少し眠った。楽な仕事になるだろう。早く帰って休みたい。
 鷹が知らせた遊里の色茶屋を、少し離れた角から見守る。自分が手に掛ける男が何をしたのかマダラは知らないし、興味もなかった。ただ相手を特定するだけの情報は頭に入っている。男がひとり店を出てきたとき、すぐにその男だとわかった。あとは絢爛な表通りを離れ、暗い辻を通るのを先回りして待ち受けるだけだ。マダラは大通りに背を向け、家屋のあいだの狭い道を通り裏道へ抜けようとした。眼の端に光が映る。家屋の中から無数の視線を感じる。屋内の住人のものではない。イズナが自分を見ているのだ。首の傷が疼く。壁際に背の高い甕を見つけ、それを足掛かりに屋根へ駆け上った。視線を振り切ろうと屋根から屋根へと走る。厚い雲に遮られ、星ひとつ見えない。あちらがわに月は出ているのだろうか。
 ひと通りのない辻の一角。屋根の上で足を止める。男はここを通るだろう。
 マダラは目を瞑り、片割れに許しを請うように語りかける。わかっている。お前を犠牲に生き延びた自分が、今更闇の外で生きていくつもりなどない。
 いくらも経たないうちに、周りをまったく警戒していない風情の呑気な足音が聞こえてきた。屋根から男を見下ろす。男は半ば千鳥足だ。腰に刀を佩いてはいるが、夜道の一人歩きであの体たらくでは、どうせ飾りだろう。くだらない獲物を寄越しやがってと毒づいて、そんな自分を嗤った。一端の剣客気取りか?
 月が出ていないのは都合がよかった。自分の影さえも男には見えない。
 男が真下を通り過ぎたとき、その背後へ飛び降りざまに斬り下した。背中を浅く斬り付けられ、男は潰れた悲鳴を上げて木偶のように地面に倒れた。背後から強襲するのは士道に反するらしいが。自分には関わりのないことだ。臓腑は傷つけたくない。それは金にも薬にもなる。骸はマダラの好きにしていいということになっている。捨て置くも売りさばくも自分次第。マダラの頭の中で男は既に金袋だった。
 地に伏した男の首に刀を添えると、痛みにうめいていた男が慌てた声で誰何する。往々にしてそうだ。マダラには理解できない。どうせすぐに死ぬというのに、知る意味があるのか。死に際の者たちが真に知りたいのは、自分の名前ではなく、誰の差し金かということで、つまりなぜ殺すのかということであろうと、それはマダラにもわかっていた。だからこそどうしようもない問いかけなのだ。
 マダラは軽く男の頭頂部を踏み、首の骨を浮き出させる。一息に首を打つ。断面から溢れる血が最後の呼気を含んでこぽりと泡立った。傷跡の痛みが引いていることに気が付いた。


**********


「……さっさと入れ」
 突然の来訪者が剣呑な手土産を担いでいるのを見て、扉間はため息交じりに言った。家に上がり、マダラはすぐに戸を閉めた。
「…………寝てたか?」
「寝てるわけないだろう」
 マダラの半ば冗談のつもりの問いに、扉間はいちいち真面目に答える。扉間がこの時刻に起きていることくらいマダラは知っていた。気が進まない様子を見て、邪魔だったのかと思っただけだ。
「骸の処理は今晩中にやらねばならん。他の予定は全部繰り下げだ。前もって言えないのか」
「急だったんだよ今日は」
 扉間は奥の間にマダラを通した。何度も上塗りされた、むっとするほど濃い血の匂い。壁一面の棚には怪しげな瓶がずらりと敷き詰められ、部屋の中心に人を乗せるための寝台がある。
「よくこんな陰気な部屋に籠ってなんやかんやできるよな」
「……今日もこれからお前のせいで籠るんだが」
 マダラが寝台に死体を下ろしながら言うと、扉間がやんわりと嫌味を言った。



「……おい」
 呼びかける声に、深く沈んでいた眠りから引き上げられる。自分が何をしていたのだったか思い出せない。顔を上げると、扉間が腰を屈めてこちらを見ている。
「終わったぞ」
 扉間の言葉で、死体の処理が終わるまで待っていようと居室に移動したことを思い出す。そこで刀を抱いて座り込んだ。そこまでは覚えている。知らぬ間に眠っていた。まさか自分が他人の領域で、自覚もなしに寝入っていたとは。その異常さに気が付いたとき、傷跡が疼き、思わず掌で痛みを閉じ込めるように押さえた。
「痛むのか」
 問いかけると同時に扉間がマダラの手を開かせ、傷痕に触れてくる。つい先ほどまで死体を切り刻んでいた指で。隣の部屋から漏れてくる薄明りだけが、かすかに部屋を照らしている。
 一度だけ、扉間が屍骸を開くのを傍で見ていたことがある。すっすっと面白いように簡単に切れ目を入れられ、皮を開かれる身体。てきぱきと臓物を吊るしたり、布で圧したり、麻袋に詰め込んだりしていき、身体が虚ろになっていく様を見るのは、自分の腹にたまった澱が取り去られていくかのような気分の良さがあった。驚くべきことに、血はほとんど出なかった。人体を深く知る者の手際。良い人斬りになれるだろう。なればいいのに、とそのときマダラは思ったのだった。

「俺たちを切り離したのがお前だったら、痕は残らなかったかもしれないな」
 それを聞いて、扉間の指が微かに跳ねたのをマダラは皮膚で感じた。口にしたそばから、たちまち自分の言葉を後悔した。言ったところで詮無いことを。なんて女々しい。もっと早くお前に出会いたかったなどと。
 それはマダラの本心だった。扉間が自分のところまで堕ちてくることを期待するよりも、もっと欲深い。もしも自分にこの傷がなく、何も知ることなく成長し、二人で陽の下を歩けたのならば、という幻想。
 扉間は何も言わない。耐え切れずにマダラが振り返ろうとしたとき、傷跡に柔らかな熱を感じた。
「っ、扉間」
 身を捩ると後ろから抱きすくめられる。ぞろりと舌で傷を舐めあげられて、思わず小さく声が漏れた。首元の傷が焼け付くように痛み、マダラは思わず目を細めた。心臓が脈打つ度に痛みが走る。
 片割れが、期待する自分を責めている。警鐘に従うべきだと知っていた。いつだってそうしてきた。自分ひとり生き残ってしまったことの、せめてもの償いとして。
 扉間に痛みを鎮めるように傷痕に口づけを落とされながら、ずっと握ったままでいた刀を手放させられる。愛刀は軽い音を立てて床に転がる。その隣にゆっくりと押し倒される。
「……嫌ならしない」
 覆いかぶさる扉間は、真っ白い普段通りの顔で言った。もしも自分が嫌だと言えば、あっさりと死体の部屋に帰って行きそうに見えた。どうしてわざわざ尋ねるのだろう。マダラは羞恥心で頬が熱くなるのを感じた。自分ばかりだと、そのことにまた恥じ入る。意地が悪い。本当に嫌ならとっくに斬ってる。
 腕を伸ばし、扉間の背中に手を回す。それが精いっぱいだった。
 耳の奥で誰かの声がするのを無視した。


**********


 次の朝、起きると雪が積もっていた。雪は湧き出るように天から降り続けている。
 早く帰らなければ。明るいうちに街を歩くのは避けたい。一人で布団を抜け出して、声をかけずに帰った。
 それが生きている扉間を見た最後になった。

 これは罰なのだろうか。初めに思ったのは傲慢にもそれだった。
 おこがましくも扉間を求めた、強欲な自分に与えられた罰。
 扉間の家で目覚めた日の夜、再びそこを訪ねると、既に役人が居た。歓楽街の一番賑わう時間だ。野次馬もいた。その肩越しに家の中を見た。役人の持つ提灯の明かりで、部屋の中は煌々と照らされている。
 転がる白い首。頭を失った身体。蒲団と壁に散る赤い血。身体に傷はなかった。
 マダラは足早にその場を立ち去った。
 まるい月が雪道を照らす。あれは手練れの仕業だ。自分と同じような人間の。
 一体誰が。考えようとしても、意識がにじみ、思考は霧散していく。

 徒な物思いに沈みながら集落へ帰ると、裏口から家の庭に入る。ぼやける思考の中で、自然と井戸から桶に水を掬う。いつも通り刀の血を洗い流す。今日も何某を斬った。捨て置いた骸がどのような人物だったのか、マダラは知らない。記憶が滲み、斬った人物の姿かたちさえ思い出せなかった。桶の水に映った自分の顔が揺れ、口元が笑みの形に歪む。

 そのとき。見たはずのない情景が頭をよぎった。

 朝。立ち去ったばかりの自分が音もなく襖を開けるのに、扉間は敏く反応し瞼を上げる。こちらの顔を見て扉間は緊張を緩める。突っ立ったままのこちらに背を向け、もぞもぞと動いて布団の上に座り直す。忘れ物か、と扉間が問う。答えずに鯉口を切る。その音に扉間は何かを悟ったように「ああ、」と言った。

『ああ、お前か』

 手に生々しく蘇る。扉間が振り向くより早く。皮膚を破り、肉を断ち、首の骨と骨の間を滑る愛刀の重さ。
 これまで幾度となく繰り返してきた一瞬。今更仕損じることはない。それは身体に刻まれた記憶だ。
 白い首が落ちる。壁が赤く染まる。ぐらりと首無しの胴が傾く。それが蒲団へ倒れ込むのを見届けずに踵を返した。
 足跡に頓着せずに音を立てて雪を踏み、赤い部屋を後にする。凍った水たまりに映る自分の姿をマダラは見た。


 マダラは現の夢から目醒め、咄嗟に刀から手を放した。それは桶の中に音もなく落ちた。水面は何事もなかったかのように刀を抱えたまま凪いでいる。
 浅い呼吸がうるさいほど頭に響く。厚く折り重なった雪の軋む音さえも耳に届いた。

 マダラは震える指先で恐る恐る首元の傷に触れた。生まれながらに背負った犠牲の形。自分の命の代償。そのはずだった。
 イズナ。お前がやったのか?俺の手で。
 胸の中で半身に問い掛け、それを遮るようにマダラは自問した。俺の手?これは本当に俺のなのか?
『ああ、お前か』
 扉間の最期の声が甦る。
 マダラは古傷を覆う硬い皮に爪を立てた。力を込めても、傷跡は僅も血を流すことはない。
 生かされたのは本当に自分だったのだろうか。此方こそがあちらがわで、自分のほうが切り離された欠片だったのではないのか。
 ありもしない迷妄だと自嘲しようとしたが、マダラはその疑心を捨て切れない。 扉間がずっと見ていたのは、一体誰だったのだろう。
 マダラの問い掛けに答える者はない。ただ水に沈む刀だけが、月の光を受けて、ちらちらと三日月のように嗤っていた。





――――――――――――
『椿』

診断メーカーお題「あなたを夢にまで見る白い夜」より
(お題とは…なんだったのか…)
2016.1.11




読みました(拍手)

←戻る

inserted by FC2 system